世界から猫が消えたなら

主人公は郵便局の配達員。猫のレタスと暮らしている。ある日余命宣告をされてしまい、家に帰ると自分そっくりの人物が椅子に座って笑顔で迎える。

 

悪魔?と聞くとそれでいいや、と笑顔で言う悪魔は

大切なものを1日ひとつ消せば1日は生きながらえると主人公に言う。

 

消すものは悪魔が選ぶ、最初はあまり重要そうなものではないんです。なくてもまあ生活はできるものに思えます。でも、実は選ぶもの全て主人公の大切なものばかり、

 

携帯、映画、時計、猫、

 

大切な人と出会うきっかけになったもの

ツタヤと仲良くなった同じ趣味

家族との繋がり

病気に苦しむ母の心の支え

 

1日生きながらえる度に、大切な人達が自分を忘れていく。

 

もういいよと悪魔に言います。

大切なことはなんなのか教える為に来てくれたんだね、と

 

最後の日は全てが元に戻ります。

周りの人の主人公との記憶も

 

ツタヤに会いに来る主人公、僕は死ぬから最後に観る映画を選んで欲しいと、

 

ツタヤは店中のDVDをひっくり返して最後の一本を探します。

 

でも見つからないんです。あんなに毎日おすすめ映画を渡してたのに、最後の映画が決められない。最後なのに、て泣くツタヤ。

 

観ていて悲しくて、ツタヤの友情が想いが嬉しくて、最後の一本なんて無いんだよなあ、て

 

今も好きな元カノと抱きしめ合う。

貴方に会えて良かった。と言ってくれる。

 

そして主人公は死を受け入れる

猫のレタスを父親に託して、

 

私は妻にも息子にも先立たれ、1人残される年老いた父親が心配になりました。

残ったのは息子の飼っていた猫だけ。

 

この先の人生きついだろうなあ、て

父親の心情を想像して悲しくなりました。

 

私も語れる程ではないけれど、映画が好きなのでツタヤみたいな友達いいなあって。毎日オススメ映画を無料で貸してくれるんですよ!(笑)たまに忘れたって(笑)映画を語ってくれて勉強になるし、ツタヤってあだ名もう似合いすぎです。大人になってもずっと友情が続く親友。

 

ツタヤみたいな親友がいて、本当に羨ましい。

悩み事は基本的に解決しない

生きていれば悩み事は尽きないと思います。

それが人間関係であれば尚更、こちらにコントロールも出来ない訳で、悩みの8割は人間関係と言うぐらいです。更に人間関係とは自分の周りの環境と言ってもいいくらいに環境と密接です。環境とは変えたくても中々変えられないものです。

 

例えば家庭環境、職場の人間関係、学校の人間関係、友達関係、恋人、

 

もし相手の行動で心を痛めて悩んでいたとしてあなたに何か出来るでしょうか。

 

あなたに相手を変えらると思いますか。残念ながら相手は変わりません。人間関係とは理不尽なモノですし、あなたが誠心誠意真面目に優しくしていてもトラブルは大小絶え間なく降り注ぎます。

 

相談に乗っている人も何度も同じ様な悩みを聞いてうんざりしますよね、

でも環境をガラリと変えなければ悩み事は基本解決なんてしないのです。

本人に環境を変える力があれば良いですがどうしようも無い場合も往々にしてあります。

だから悩み事なんて基本解決しないのです。

全ての人に最高な環境を用意出来ない限り悩み事は世界から無くならない。

抗った先に明るい環境があるとも限らない。更なる地獄かも知れない。

 

悩むことも人生に真剣に抗うことも、馬鹿らしくなる。悩み事なんて解決しないことに頭なんて使いたくない。全て逃げた先には今度は孤独が待っている。

 

孤独で苦しむ人間をやめたい。人間らしい欲を捨てたい。自己実現欲も人との暖かい関わりを求める感情も。感情のせいで寂しくて苦しんで絶望して自殺して馬鹿みたいじゃない。どうせ自殺も出来ないのに、どうせ求めたって何も手に入らないのに。

 

もう私求めないで人生を諦めて。楽にさせて。全て捨てたい。不確かな未来より今の私を救ってほしい。

 

心を楽に生きていきたい。

 

 

 

 

 

春の良さ

お布団を丸洗いするのが好き。

毛布も枕も丸洗いしてふかふかに干すのが好き。

 

年中シーツは三日に一度は洗濯しますし

 

お布団は干すくらいなら、洗濯機で丸洗いしてから干したいです。これならダニも埃も一網打尽です!

 

春の良さはお布団丸洗いが出来るところですね。

暖かくなって、明るくなって、桜が咲いて、

洗濯物がよく乾く。

 

でも夏がすぐ来るのがネックですかね。

 

1年の季節、春冬、春冬くらいのサイクルだといいのに。

疫病神の様な人。

世の中には疫病神みたいな人が居ると思います。

 

その人の行動や言動が周りを不快にし、周りを困らせ、周りを我慢させ、不利益ばかり被らせる。みなさんの職場にもその片鱗が見える人が居るんじゃないでしょうか。

 

私の父親がそうだったんですけど、まず家に物を沢山溜め込むし、いらない物を捨てられない。ゴミ屋敷にする。捨てると怒り出す。空いたスペースにまた物を置き始める。ほんとに病気だし異常な行動を身内は止められないし直せない。父親が死んでガラクタと遺体を一緒にゴミに出すか、父親を病院に入れて他の人と一緒の大部屋にして、強制的に物を持てなくするしか解決法はないですね。

 

DVやギャンブル、依存症、自己中、ゴミ屋敷などの異常行動に周りはズタボロに傷つけられるし、ヘトヘトに疲弊します。

 

思いやりのない身内は身内を精神的に殺します。

 

それに法律上の保護者が必要な保護を阻害する存在になっているケースは悲しいですがよくあることです。

 

安心して休める筈の家が戦場になる。外で7人の敵と戦って家に帰るとラスボスが待ってるスチュエーションは辛いです。

 

よく今は共働きが主と言いますよね。

でもいざとなったら俺が養うよくらいの気持ちもない人は結婚しない方が賢明だと思います。なんで俺がの精神の人はそもそも誰かを支える事自体が向いてないし共同生活向きじゃないからです。共働きしていても少しでもバランスが崩れれば崩壊に向かうだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

死んだら天国にいけたらいいのに

死ぬのって怖い。自分が永遠に無になるのが怖い。

自分が消えてしまうのが怖い。いなくなるのが怖い。

 

もし、死んでも意識はしっかりとあって浮遊霊になって自由に過ごせたりしたら怖くない。

 

天国があって永遠に楽しく幸せに暮らせたら怖くない。

 

浮遊霊になれたら、毎日映画館に入り浸って最新映画見放題だなとか、ディズニーランド行き放題だなとか、海の中自由に泳いで空を自由に飛んで。高く高く昇って空と宇宙の間をゆったりと飛行したり。

楽しいだろうな。宇宙も行ける。宇宙ステーションに入って宇宙飛行士の生活も体感できる。

世界一周も出来る。色んな国を回れる。

楽しいだろうなあ、楽しみだな。

 

天国に行くのなら、どんなところか想像してみる

綺麗な景色が広がっていて、

満天の星に綺麗な海、気温は暖かく過ごしやすい。

砂浜を波打ち際歩いていく。

白いワンピースに裸足、背中には白い翼。

大切な人がいて、仲良くずっと一緒に居られる。

 

そんな世界に永遠に居たいなあ。

 

ヘタリア 祖国お誕生日おめでとう!

日を跨いでしまいましたが、昨日2月11日は日本の建国記念日、祝日、日本のお誕生日です。

私は土日祝は必ずお仕事ですが…(笑)

 

日本さんお誕生日おめでとうございます!

 

日本に生まれて良かったよ!大好きなアニメや漫画が自国の言語で思い切り楽しめて、街は綺麗でゴミひとつない。夜も安心して出歩ける。犯罪だって少ない。なんだかんだ少ない収入でも娯楽には困らないし美味しいご飯も安く食べれる。生活も便利な街に住めていて、程よく密集しているからこそ自転車圏内になんでもある。車が無くとも買い物に困らない。

電車が発達していて車よりも安全に安価で気軽に時間も正確にすぐ移動出来る。

 

ヘタリアのアニメに出会えて良かった!

日本を好きになれたし、色んな国や世界史に詳しくなれた。建国記念日なんて意識したことなかったのに、日本の誕生日だと思うと嬉しくなれる。

春からのアニメも初めてリアルタイムで観れる!

春までお仕事頑張って生きれます!

 

ヘタリアを観ていると、色んな国の化身がいて、それぞれ国民性の性格を表していて、様々な個性を持ったキャラクターが沢山いるけれど、それぞれが個性を出しながら仲良く調和している姿に、微笑ましくなってすっごく羨ましい。

 

現実は色んな人がいたら、誰かは我慢してあげたりとか、誰かは譲ってあげたりとか、そうしないと調和出来ないと思っているから、

個性を出しながらも、平和なヘタリアを観ると

そのままの君でいいんだよ、と肯定されるような安心感があってヘタリアが好きです。。。

 

日本の本田菊さんが好きですがアメリカのアルフレッドも イギリスのアーサーも イタリアのフェリシアーノも ドイツのルートも 神聖ローマもちびタリアもみんなみんな大好きです!

 

あと世界情勢のニュースを観ると国をヘタリアのキャラにして想像するから、理解しやすく覚えやすくなりましたね(笑)

 

ヘタリアのグッズ中々置いてなくて買えないけど、

ジャンプスクエア3月号にヘタリアのクリアファイルが付録に付いていて嬉しい。

中々グッズないので貴重です!

 

改めて祖国お誕生日おめでとう!

 

 

ブログの良さとは

私がブログを始めたのは、自分の考えていることを表現できる場所、出せる場所が欲しかった。

 

それが文字という形に残り、いつか誰かが読んでくれるかも知れないし、どこかの誰かが共感してくれるかも知れない。

 

夜中に悶々としていて、誰かに話すことは出来なくても、夜中ブログに書いて更新することは出来る。それを、誰でも読めるネットに公開しておける。

 

それをいつか誰かが読んで何かを思ってくれるかも知れない。誰も読まなくても公開はしておける。

 

それだけで私の心は軽くなる。